ものは試しでやってみようよ、とか、お試し期間ってことでつきあってみようよ、とか、そういうのはもともと信じないくちだったのですが、
最近「打率2割で十分好成績、だからどんどん打席に立つ」という考え方をとりいれつつある私です。とりあえず土曜日に水没して液晶画面内までお水でぐっ
しょりさんだったiPhone3Gが、ここ連日の猛暑によりすっかり乾いたように見えたので、ケーブルをぎゅっとつないで...みたのです。
で...電源はいった!
時間と日付の設定が2000年にリセットされてたけど、それ以外、まったく何事もなかったかのように動き始めました。電子機器ってすごいな...!だって、 水没っても、単なる水没じゃなくて「洗濯」ですからね。洗剤と柔軟剤も入れましたよ。それなのに息を吹き返すとは...。驚きました。いやーよかった。
そ して、iPhone及び携帯電話がない日々を5日間経験して思ったことは、「やっぱり携帯なくても暮らしていける」ことと、「なんだかんだで、 iPhoneのカウントダウンタイマー機能を最も愛用しているんだな」っていう発見でした。予約してる4Gどうしようかなぁと悩む気持ちはあるんだけど、 やっぱり、物事が進んだらそこには point of no return がある、その点について、異議なし、と思う。無抵抗で「受け容れる」わけでも、あきらめて「観念する」わけでもなく、ただ愚直に、てくてく前に 行くだけ。たのしかった思い出をありがとう、3G。
さあ行くぞ!4Gであたらしい世界へ。
で...電源はいった!
時間と日付の設定が2000年にリセットされてたけど、それ以外、まったく何事もなかったかのように動き始めました。電子機器ってすごいな...!だって、 水没っても、単なる水没じゃなくて「洗濯」ですからね。洗剤と柔軟剤も入れましたよ。それなのに息を吹き返すとは...。驚きました。いやーよかった。
そ して、iPhone及び携帯電話がない日々を5日間経験して思ったことは、「やっぱり携帯なくても暮らしていける」ことと、「なんだかんだで、 iPhoneのカウントダウンタイマー機能を最も愛用しているんだな」っていう発見でした。予約してる4Gどうしようかなぁと悩む気持ちはあるんだけど、 やっぱり、物事が進んだらそこには point of no return がある、その点について、異議なし、と思う。無抵抗で「受け容れる」わけでも、あきらめて「観念する」わけでもなく、ただ愚直に、てくてく前に 行くだけ。たのしかった思い出をありがとう、3G。
さあ行くぞ!4Gであたらしい世界へ。
父が趣味の古文書勉強会のため上京するので、今日は朝から部屋の掃除を熱心に...していたら、焦っていたのか、うっかりiPhoneを洗濯してしまいました。洗濯機からiPhoneが出てきたときの驚きたるや。もちろん、水に濡らしたレベルではなくがっちり洗濯したので、完全にアウト。
でも、実はあまりショックじゃない。
ひとつには、「これで物理的にiPhone4Gに機種変更するしかなくなった」という結果オーライ的な発想があると思うのだけど、もうひとつ。たぶん、昔ほど、コミュニケーションが携帯に依存してないんだろうな。iPhoneを使い始めたのを契機に、既存友人とのやりとりをある程度Gmail主体に切り替えつつあるのが大きいかもしれない。さらに、新しくできた友達はGmailにデータで入ってる、という...。
想像もしなかった未来にじわじわと足を突っ込んでる感じがするなあ。父が、「俺が子どもの頃は道路なんて舗装されてなかった」という話に今ひとつ実感が持てなかったけど、こういう小さいことがつながっていくんだろうか。楽しみだね。
→というわけで、2週間ほど、電話がちっともつながらない私になります。
でも、実はあまりショックじゃない。
ひとつには、「これで物理的にiPhone4Gに機種変更するしかなくなった」という結果オーライ的な発想があると思うのだけど、もうひとつ。たぶん、昔ほど、コミュニケーションが携帯に依存してないんだろうな。iPhoneを使い始めたのを契機に、既存友人とのやりとりをある程度Gmail主体に切り替えつつあるのが大きいかもしれない。さらに、新しくできた友達はGmailにデータで入ってる、という...。
想像もしなかった未来にじわじわと足を突っ込んでる感じがするなあ。父が、「俺が子どもの頃は道路なんて舗装されてなかった」という話に今ひとつ実感が持てなかったけど、こういう小さいことがつながっていくんだろうか。楽しみだね。
→というわけで、2週間ほど、電話がちっともつながらない私になります。
イトイさんの「ほぼ日手帳20111」紹介イベント動画がおもしろかったので、久しぶりにほぼ日手帳を出してみた。今年は4月はじまり版を買ってあったんだけど、気持ち良いくらい何も書いてない。昔は厚みがひどくなるくらい書き込んでいたのに...、だから必要以上のモノに埋もれて暮らすのってダメなのよね!!そういうひとキライ!と自分にダメ出ししながら、ちょっと書き込みを。
4月から今までの、Googleカレンダーとか、メールとか、このブログとか、ツイッターとか、facebookとか、自分の色んなweb上のかけらを見ながらちょいちょいっと書き始めてみたら...。すっごくハマってしまった。このとき、何があったんだよ〜とか、こう思った、とか、そういったことが、順不同なんだけど、ぼろぼろ出てくる。また、小さい字でぐりんぐりん書いていくのが気持ちイイのです。
全部はとても無理なんだけど、覚えてるところだけ、1日1ページに書き込んでいく。覚えていることなんて、本当にあったことのごくごく一部にすぎない。でも、書いているとすがすがしい。意外に、「この日、コレがあった」という日よりも、「なんでもない日」のほうが、ひとりであれこれ考えたりしてしょうもない行動に出ているということがわかったりして、おもしろい。これもひとつの成長だなぁと感じつつ、まだまだ残暑の東京なのでした。ことしのほぼ日手帳は、いいかんじの日記帳になりそうです。
ほぼ日手帳2011 発表会@京都ロフト
http://bit.ly/9TKEMw
ほぼ日手帳2011
http://www.1101.com/store/techo2011news/index.html
4月から今までの、Googleカレンダーとか、メールとか、このブログとか、ツイッターとか、facebookとか、自分の色んなweb上のかけらを見ながらちょいちょいっと書き始めてみたら...。すっごくハマってしまった。このとき、何があったんだよ〜とか、こう思った、とか、そういったことが、順不同なんだけど、ぼろぼろ出てくる。また、小さい字でぐりんぐりん書いていくのが気持ちイイのです。
全部はとても無理なんだけど、覚えてるところだけ、1日1ページに書き込んでいく。覚えていることなんて、本当にあったことのごくごく一部にすぎない。でも、書いているとすがすがしい。意外に、「この日、コレがあった」という日よりも、「なんでもない日」のほうが、ひとりであれこれ考えたりしてしょうもない行動に出ているということがわかったりして、おもしろい。これもひとつの成長だなぁと感じつつ、まだまだ残暑の東京なのでした。ことしのほぼ日手帳は、いいかんじの日記帳になりそうです。
ほぼ日手帳2011 発表会@京都ロフト
http://bit.ly/9TKEMw
ほぼ日手帳2011
http://www.1101.com/store/techo2011news/index.html
1週間夏休みをとって、瀬戸内海と初めての四国を楽しんできました!



夏は海外か北上するか長野の山に登るのが定番だったので、西に下ることに一抹の不安はあったのですが...、そして、猛暑だったわけですが...、そんな不安を拭ってあまりあるほど、瀬戸内海は美しかった。四国も、欲張りなくらいみどころをたくさん見られて良かった。よさこい祭りも間近で見られたりしてスゴかったのですが、それも含め、興奮のあまり写真を撮ってない場所多数です、てへ。ナマを楽しんだってことでまあいっか!

瀬戸内海の島々が遠景と近景とで、ブルーのグラデーションで見えて、なんともきれい。海の色は青く、波は落ち着いていて、のんびりのんびりしてました。

わんこものんびり。日本系の犬種ってかわいい。

徳島の渓谷。木曽の寝覚ノ床を思い出すような透明感。泳ぎたいー

金比羅山の狛犬。「ん」の方です。ぐっと口を結んで語らない。なんだか親近感。よしよし。

お城も結構見ました。天井装飾好きとしては、山之内一豊の高知城が素敵だったな~。欄間に、波とか雲とか橋を模した彫りものがはいってるんです。洒落てました!写真は、板張りが珍しい、松山城。火矢でも射掛けられたら一気に炎上しそうだな...と思いつつ、塀が何重にも巡らされていて堅牢な印象。しかし、暑かった!いい汗かきました。
この間、常用漢字が増えます、というニュースに対して、えらい名誉教授の先生が
「漢字なんて増やさなくていい、同音同義語でニュアンスがちょっと違うだけのものなんて、漢字を分けて書く必要なし。日本語をいたずらに難しくするだけで、時代にそぐわない。」
とおっしゃっていて、強く共感した。
曲がりなりにも広告の端っこに携わったり、自分の文章をメディアにのせてきた身として、人から発せられる色んな「ことば」には興味がある。文章の中のほんの少しのニュアンスでも、ああ、あの人っぽい文章だなと思ったり、書いた人のことを思い浮かべて微笑ましく思う、それこそがことばの力だと思うから。
たとえばそれは、ちょっとした漢字の使い方だったり、句読点の使い方だったり、敢えてのひらがな表記だったりする。たとえばそれは、妙に雰囲気が伝わってくるオリジナル擬音語擬態語だったりもする。そういった日本語の持つ表現力の豊かさを大事にしたいし、一流の作家やライターの原稿を読んでいると「いいなぁ」と感じる。そして、書き言葉に力がある人は、実際にお会いしてみると、ご本人もとっても素敵なことが多くて、嬉しくなる。
だから私が最近残念に思うのは、パソコンの変換技術に頼りきった文章があまりにも増えてきていること。「有り難う御座います」と、無邪気にパソコンのなすがまま文章には、正直げんなりする。(意図的に、どうしても「有り難い」ことを漢字で表現したかったのならそれはそれなんだけど。)メールや文書を書くときに、一度「自分は手書きで手紙を書くとき、この漢字を使うだろうか」と考えてみたらいいのにな。同じ理由で、使い慣れない丁寧語、使い慣れない謙譲語にも違和感を感じる。慣れない言葉で形式張って書くよりも、自分の言葉で思いを伝えてくれたほうがよほど心が動くのに、もったいないなと思う。
「漢字なんて増やさなくていい、同音同義語でニュアンスがちょっと違うだけのものなんて、漢字を分けて書く必要なし。日本語をいたずらに難しくするだけで、時代にそぐわない。」
とおっしゃっていて、強く共感した。
曲がりなりにも広告の端っこに携わったり、自分の文章をメディアにのせてきた身として、人から発せられる色んな「ことば」には興味がある。文章の中のほんの少しのニュアンスでも、ああ、あの人っぽい文章だなと思ったり、書いた人のことを思い浮かべて微笑ましく思う、それこそがことばの力だと思うから。
たとえばそれは、ちょっとした漢字の使い方だったり、句読点の使い方だったり、敢えてのひらがな表記だったりする。たとえばそれは、妙に雰囲気が伝わってくるオリジナル擬音語擬態語だったりもする。そういった日本語の持つ表現力の豊かさを大事にしたいし、一流の作家やライターの原稿を読んでいると「いいなぁ」と感じる。そして、書き言葉に力がある人は、実際にお会いしてみると、ご本人もとっても素敵なことが多くて、嬉しくなる。
だから私が最近残念に思うのは、パソコンの変換技術に頼りきった文章があまりにも増えてきていること。「有り難う御座います」と、無邪気にパソコンのなすがまま文章には、正直げんなりする。(意図的に、どうしても「有り難い」ことを漢字で表現したかったのならそれはそれなんだけど。)メールや文書を書くときに、一度「自分は手書きで手紙を書くとき、この漢字を使うだろうか」と考えてみたらいいのにな。同じ理由で、使い慣れない丁寧語、使い慣れない謙譲語にも違和感を感じる。慣れない言葉で形式張って書くよりも、自分の言葉で思いを伝えてくれたほうがよほど心が動くのに、もったいないなと思う。
ひるがえって自分も、できるだけ自分のことばで話すこと。自分の思いに正直になること。時に、相手に合わせて言葉の出力を調整することが大事だなと思うのでした。文章っておもしろいよ。読むのも、書くのも。
猛暑日の中、みっちり汗をかきながら上野・谷中・池之端近辺を散策&撮影。知らないところがたくさんあった。そして、不忍池ではすいれんがぐぐっと大きくなっていた。前の撮影からもう半年も経ってるんだねえ。そりゃ色々あるわけだ...と妙に納得した私でありました。
そして、今日一番ときめいたのはこれ。きれい。
そして、今日一番ときめいたのはこれ。きれい。
浮かべる船はもうあるから、あとは漕ぐだけ。


本人は「ちゃんとできている」と思っているのに、はたから見ていると非常に危なっかしい...身の回りにそんなことはありませんか。わたくし、最近とっても気になるのは、女性の足元であります。地中深い大江戸線でないのをいいことに、地下鉄から地上へはすべて階段を利用しているのだけど、階段をてくてく登る間、前を歩いている女性陣の足元をじいぃいいっと見るのがほぼ日課。女性の足元の何を見ているかというと、「カカトのグラグラ具合」。一度気をつけて見たことがある人ならおわかりかと思いますが、足が着地するごとに、ぐらっ、ぐらっと足が左右に大きくブレる人と、そうでない人がいるのです。
左右にブレる人=細いピンヒール、かというと、決してイコールではないのがおもしろいところ。ヒールの直径が細かろうが、太かろうが、スッスッと歩ける人は一切ブレずに歩いています。じゃあ何なのか? ...そうですね。カカトの磨り減り具合によっているのであります!! ヒールの踵のソール(ゴム)が、左右非対称にすり減っている人は、とにかく左右にブレるのです。(まあ、すり減るのが先だったのか、ブレるのが先だったのかと言われるとよくわかんないけど。)
毎日毎日、よくそれで歩いてるよね!と思うほどに、一歩出すごとにぐらっぐらっと左右に足が傾いているたくさんの人を見ているうちに、だんだん私の気持ちは変わってきました。最初のうちは、「コケたりしないのかな...」「ここまで来ると逆にすごいバランス感覚だな」とおもしろがっていたのだけれど、数をこなして見ていくうちに、やはり、スッスッと左右にブレずに歩いていく人の美しさがどんどん引き立ってくるんですよね。ピーンと一本、線が通っている歩き方と、それを支えている靴の美しさ。踵が左右対称に整えられているのも、定期的なお手入れの賜物、ということで、女子力の高さも感じたりします。
きれいだな、と思う顔とか髪とか脚とかは意識したことがあったけど、きれいだな、と思うくるぶしから下、って意識はなかなか自分の中になかったので、とても新鮮。そして同時に、自分の中でも靴を買う基準が少し変わってきました。
昔は、ヒールが苦手だったし、幅広な自分の足の形に合う靴がなかなかみつからなくて、「履きやすい靴」を選んでいたのだけど、それだけじゃないなと。やっぱり、形が自分の好みなのかどうかをすごく考えるようになりました。好みの形を選んで選んでいくと、ものっすごく高い靴になってしまって、これキャリーどころじゃないけどどうですか?と思うのですが...、くやしいけど、高い靴は見た目がステキなだけじゃなく、履き心地もステキなのでした。
新しい靴はいて、新しいところに飛び込んでいきたいよね!
と思いつつ、日本列島はこれからめっきり梅雨の予感。毎年迷って結局レインブーツを買えない私は、今年もたぶんエナメルパンプス軍団でこの雨を乗り切ることになるかと思います。くるぶしから下美人への道のりは続くよどこまでも。
土曜日の早起きは、美術館のためにあると言っても過言ではないと思う。
夜遅くの芸術鑑賞も好きだけど、午前中、開館直後からの1時間半くらいの、比較的落ち着いた空間で自分のスピードで鑑賞できるのも好き。新国立美術館では今、オルセー美術館展がかなり盛り上がっていることもあり、そっちから先に観ようかなあとも思ったのだけど、いや、きっと両方観たらぐちゃぐちゃになるな、と思い直して初志貫徹。ルーシー・リー展、行ってきました。駅ポスターであのフォルムと色を見た時からずっと気になっていたの。
いやー・・・、本当にとっても良かった。「器」が主役の展示って、しかもよく知らない海外の作家の展示って、楽しめるかしら、と少しだけ不安に思っていたのだけど、杞憂でした。絵画と違って、器の展示は、そこから物語を「読み取らなくていい」。こうなのかな、ああなのかな、って、想像するだけでいい、というのが今の私にぴったりきたんだと思う。
例えるなら、ピアノ協奏曲を弾きながら物語を考えているのに似ている。前にも書いたと思うけれど、私はピアノ曲を弾くとき、頭の中で物語を考える。ここで野原を走って、ここで女の子が出てきて・・・みたいな。そうすることで音楽と心の距離が近くなるような、心をこめて演奏できるような気がする。
ルーシー・リーのつくるうつわの形、彼女が慎重に調合した釉薬の成す色は、本当に繊細。ブロンズ色と緑色がぶつかり合うような、激しい大人の女性を感じる鉢があるかと思えば、恋する女の子そのもののような、淡いあわい薄桃色のぽわっとした鉢。ぴんと張った緊張感ある花瓶・・・の、最後の口元のところだけがふんわりとたゆんでいたりして。ミステリアスな人、全部が見えない人、のことはなおさら追ってしまいたくなるように、彼女のうつわには物語を感じた。とっても素敵すぎて、美術館を去りがたく感じるなんて初めてかも。
かたち、そして色。
本当にシンプル(に仕上げられている)展示だったのだけど、ああいう色の服を着てみたいなーとか、ああいう色のオーラが出る子っていいよね、とか、そこから広がるイマジネーション&思いがたくさん。アネット・メサジェ以来の衝撃! &大好き!な展示でした。ご本人の作品に対する姿勢も素敵だった...。彼氏とふたりとかで行くと、ついついおちゃらかして「このうつわで肉じゃが食べたらどうなるかな?」とかはしゃいじゃいそうなので、ぜひ、物静かなお友達またはおひとりでゆっくり観に行くのがいいんじゃないかなと思います。あ、私ともぜひ、ご一緒に。
ルーシー・リー展 |ウィーン、ロンドン、都市に生きた陶芸家
2010年4月28日(水)〜2010年6月21日(月)
国立新美術館
http://www.lucie-rie.jp/index.html
夜遅くの芸術鑑賞も好きだけど、午前中、開館直後からの1時間半くらいの、比較的落ち着いた空間で自分のスピードで鑑賞できるのも好き。新国立美術館では今、オルセー美術館展がかなり盛り上がっていることもあり、そっちから先に観ようかなあとも思ったのだけど、いや、きっと両方観たらぐちゃぐちゃになるな、と思い直して初志貫徹。ルーシー・リー展、行ってきました。駅ポスターであのフォルムと色を見た時からずっと気になっていたの。
いやー・・・、本当にとっても良かった。「器」が主役の展示って、しかもよく知らない海外の作家の展示って、楽しめるかしら、と少しだけ不安に思っていたのだけど、杞憂でした。絵画と違って、器の展示は、そこから物語を「読み取らなくていい」。こうなのかな、ああなのかな、って、想像するだけでいい、というのが今の私にぴったりきたんだと思う。
例えるなら、ピアノ協奏曲を弾きながら物語を考えているのに似ている。前にも書いたと思うけれど、私はピアノ曲を弾くとき、頭の中で物語を考える。ここで野原を走って、ここで女の子が出てきて・・・みたいな。そうすることで音楽と心の距離が近くなるような、心をこめて演奏できるような気がする。
ルーシー・リーのつくるうつわの形、彼女が慎重に調合した釉薬の成す色は、本当に繊細。ブロンズ色と緑色がぶつかり合うような、激しい大人の女性を感じる鉢があるかと思えば、恋する女の子そのもののような、淡いあわい薄桃色のぽわっとした鉢。ぴんと張った緊張感ある花瓶・・・の、最後の口元のところだけがふんわりとたゆんでいたりして。ミステリアスな人、全部が見えない人、のことはなおさら追ってしまいたくなるように、彼女のうつわには物語を感じた。とっても素敵すぎて、美術館を去りがたく感じるなんて初めてかも。
かたち、そして色。
本当にシンプル(に仕上げられている)展示だったのだけど、ああいう色の服を着てみたいなーとか、ああいう色のオーラが出る子っていいよね、とか、そこから広がるイマジネーション&思いがたくさん。アネット・メサジェ以来の衝撃! &大好き!な展示でした。ご本人の作品に対する姿勢も素敵だった...。彼氏とふたりとかで行くと、ついついおちゃらかして「このうつわで肉じゃが食べたらどうなるかな?」とかはしゃいじゃいそうなので、ぜひ、物静かなお友達またはおひとりでゆっくり観に行くのがいいんじゃないかなと思います。あ、私ともぜひ、ご一緒に。
ルーシー・リー展 |ウィーン、ロンドン、都市に生きた陶芸家
2010年4月28日(水)〜2010年6月21日(月)
国立新美術館
http://www.lucie-rie.jp/index.html
どうも。サークルの15周年記念パーティー&飲み会にて、一回り下のコ達と自己紹介合戦をしていたら「本名は何ですか?」と訊かれた私です。call me X = ニックネーム、という、新しい数式の存在を感じました。時代だね!
久しぶりにお会いする面々はみなさん本当にお元気そうで、はつらつとしていて、いいなあ、こんな人達に出会えてよかったと嬉しかった。超レアキャラ的な人が同時多発していて、きゃいきゃいしているうちに同期とあまりゆっくり話せなかったのが残念だったけど、いつでも会える距離だから、またぜひ近いうちに。
実は、この15周年用にちょっと写真素材を提供するために、昔のCD-R引っ張り出したりスキャンしてひとり同窓会をしていたのだけど、なんでしょう...、「自分史」って、みなさん、写真で振り返ったことがありますでしょうか。特に、30歳前後の方。これね。ぜひ、やるべきだな!!って思いました。毎日毎日、ごはん食べて寝て起きて、たまにブログ書いてちょっとツイートして、年賀状書いて新年会やって結婚式行って...とかやってると、なんだか「自分」って、大して変わってないんじゃないかという錯覚を覚える。けれども、確実に、時間は流れていて、自分は変わっている、ということを実感できるもの、それが、視覚での記録だと思うんだよね。
私の場合、写真を「撮る」ほうが楽しくなっちゃったこともあり、20歳以降の写真っていうものがそもそもかなり少ない自覚アリ。それでも、今回時系列でわーっと写真を並べてみたら、遠くまで来たなー、って思いが実感として出てきた。自分が写っている写真=誰かに撮ってもらった写真だから、特に、自分1ショットの写真を見ると、カメラの向こうにいた相手との時間も思い出して切なくなるのかもしれない。
同時に、自分の髪型の変化&体重の増減もあらわに...。これ、怖いけど、何が似合って何がダメなのか、ものっすごく考えますね(あ、普段から考えてる...というのが正解だとは思うのですが)。写真って本当に、他人から見た自分を写すから、自分ではいいと思って着ていても、写真だと肉々しくてぎょっとしたり、化粧が超不健康だったりと、「信じたくない真実」が見えてしまう。
ただ、残念ながら、自分がどう思うかじゃなく、他人にどう見えるかが「見た目上の真実」なのです、ね。ホント、25を過ぎたあたりから、女は実年齢じゃない、何歳に見えるかだ、と感じています。子どもがいようが仕事がキツかろうが、美しい人はいつまでも美しい現実があり、その努力いかばかりかと、リアルにびしばし感じます...。まあとりあえず、去年から始めた体質&生活改善の成果がゆるゆると出てきてよかったなと思いつつ、日々是精進です。
久しぶりにお会いする面々はみなさん本当にお元気そうで、はつらつとしていて、いいなあ、こんな人達に出会えてよかったと嬉しかった。超レアキャラ的な人が同時多発していて、きゃいきゃいしているうちに同期とあまりゆっくり話せなかったのが残念だったけど、いつでも会える距離だから、またぜひ近いうちに。
実は、この15周年用にちょっと写真素材を提供するために、昔のCD-R引っ張り出したりスキャンしてひとり同窓会をしていたのだけど、なんでしょう...、「自分史」って、みなさん、写真で振り返ったことがありますでしょうか。特に、30歳前後の方。これね。ぜひ、やるべきだな!!って思いました。毎日毎日、ごはん食べて寝て起きて、たまにブログ書いてちょっとツイートして、年賀状書いて新年会やって結婚式行って...とかやってると、なんだか「自分」って、大して変わってないんじゃないかという錯覚を覚える。けれども、確実に、時間は流れていて、自分は変わっている、ということを実感できるもの、それが、視覚での記録だと思うんだよね。
私の場合、写真を「撮る」ほうが楽しくなっちゃったこともあり、20歳以降の写真っていうものがそもそもかなり少ない自覚アリ。それでも、今回時系列でわーっと写真を並べてみたら、遠くまで来たなー、って思いが実感として出てきた。自分が写っている写真=誰かに撮ってもらった写真だから、特に、自分1ショットの写真を見ると、カメラの向こうにいた相手との時間も思い出して切なくなるのかもしれない。
同時に、自分の髪型の変化&体重の増減もあらわに...。これ、怖いけど、何が似合って何がダメなのか、ものっすごく考えますね(あ、普段から考えてる...というのが正解だとは思うのですが)。写真って本当に、他人から見た自分を写すから、自分ではいいと思って着ていても、写真だと肉々しくてぎょっとしたり、化粧が超不健康だったりと、「信じたくない真実」が見えてしまう。
ただ、残念ながら、自分がどう思うかじゃなく、他人にどう見えるかが「見た目上の真実」なのです、ね。ホント、25を過ぎたあたりから、女は実年齢じゃない、何歳に見えるかだ、と感じています。子どもがいようが仕事がキツかろうが、美しい人はいつまでも美しい現実があり、その努力いかばかりかと、リアルにびしばし感じます...。まあとりあえず、去年から始めた体質&生活改善の成果がゆるゆると出てきてよかったなと思いつつ、日々是精進です。